美人投票から考える。あなたが素直に自分の意見を言うことの価値とは?

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ケインズといえば、有名な経済学者としてよく知られている。しかし、なんだか堅苦しい気もするし、古いと考える人も多いだろうから、実際にケインズが書いた本を読んだことのある人は、たとえ経済学部の人でも少ないだろう。だが、読んでみると、後世の研究の礎として乗り越えられその歴史的役割を終えた部分もあるだろうし、その一方で今日においてもなお、有用な示唆を与えてくれる箇所もある。例えば、「ケインズの美人投票」は、今日の問題を考えるうえで、様々な点で応用可能な喩え話だ。

「玄人筋の行う投資は、投票者が100枚の写真の中から、もっとも美しい6人を選び、その選択が投票者全体の平均的な好みに最も近かった者に賞品が与えられるという新聞投票に見立てることができよう。この場合、各投票者は彼自身がもっとも美しいと思う容貌を選ぶのではなく、他の投票者の好みに最もよく合うと思う容貌を選択しなければならず、しかも投票者のすべてが問題を同じ観点から眺めているのである。ここで問題なのは、自分の最善の判断に照らして真にもっとも美しい容貌を選ぶことでもなければ、いわんや平均的な意見が最も美しいと本当に考える容貌を選ぶことでもないのである。」(ケインズ「雇用、利子および貨幣の一般理論」第4編12章)

このようにケインズは、株式投資を美人投票に喩えている。しかし、世論の形成という点でも、この考え方を使って同様のアナロジーを見出すことができるのではないか。我々日本人は、他人の顔色をうかがってモノを言う。単に言いたいことを言うよりも、言った結果自分がどう思われるかまで考慮して、意見を言う。つまり、空気を読むのである。この能力なくしては社会的に生きていけない。このことは、先程のケインズの美人投票における見立てと似ているのではないか。「各論者は彼自身がもっとも妥当であると思う意見を選ぶのではなく、他の論者の好みに最もよく合うと思う意見を選択しなければならず、しかも論者のすべてが問題を同じ観点から眺めているのである。」

自身が思う最も妥当な意見ではなく、他の論者の好みに最もよく合う意見を選択することは、我々が自然と日常的にやっていることである。自身と他の論者とのことでいえば、一日本人と日本人全体、週刊誌と週刊誌全体、テレビの放送局とテレビの放送局全体、新聞社と新聞社全体で、このようなことが起こっている。ネット空間、あるいはSNSにおける細分化したクラスターの中でもそうかも知れない。つまり、多くの他の論者の好みに最もよく合う意見≒世論を言っておけば、格別に非難されることもない。出る杭は打たれるのだから、他人に受け入れやすい意見を言っておけば安心ということだ。

わかりやすく現れた例としては、東日本大震災の大津波に端を発する福島第一原発問題だろう。これについては、原発は危ない、東京電力が悪い、政府も悪いという、おおむね3つの暗黙の了解=世論が形成されていた。このような認識を含みにして、ニュースにせよ、新聞にせよ、報道がなされていたといっても過言ではないだろう。実際に正しいかは定かではないけれども、それを言っておけば、だいたいの人が納得する(=他の論者の好みに最もよく合う)であろう意見。それが世論である。そこには科学的な見解や冷静な意見は含まれにくい。

暗黙の了解として形成された世論は、その責任を引き受ける主体はいない。世論をなぞれば、自分自身の発言の責任を問われることはない。世論という発言の責任を引き受けるものもいない。あらゆるメディアはその報道の責任を事後的に追求されることはまず無いだろう。したがって、メディアは常に”言いっぱなし”である。また、世論にしたがって合意がなされる場合、仮にそれが悪い事態につながったとしても、誰も責任を取ることはない。つまり、共同で責任回避が行われているのである。

結局のところ、実際にどうであるかよりも、どう思われるかのほうが優先されて報道は行われている。個人の意見の発信という点においても、同様である。原発やコロナウイルス流行下の措置などの政策議論は、経済合理性に基づいた定量的な分析を行なっている経済や理数系に明るい人は親しみやすいかもしれない。しかし、その一方で情緒的に考えることを習慣にしていて、情報源がたとえばテレビに偏っている人は、じっくりした冷静な意見や分析には同調しづらいだろうし、そもそも基礎的な情報にアクセスしていないだろう。

コンセンサスはもちろん、一定の正しさを持っている。しかし、そればかりでは「自身が思う最も妥当な意見ではなく、他の論者の好みに最もよく合う意見」、すなわち当たり障りの無い世論が跋扈してしまう。だからこそ、「他の論者の好みに最もよく合う意見を選択するのではなく、自身が思う最も妥当な意見」は貴重であり、価値があるのだ。自ら調べて考える習慣はかつてなく貴重になっている。誰もが納得する前進も面白みもない意見よりも、批判を受けるリスクがあっても世論や常識とは違った意見もあってしかるべきだ。ケインズも言っている。「私は正確に間違うよりも、大雑把でも正しくありたい。」と。

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この記事を書いた人

・現役世代を元気にしたいとの思いで新ブログを立ち上げ!
・本は2000冊以上読破、エッセンスを還元いたします
・金融機関で営業・調査部隊双方を経験。
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