「モラリア」2巻目は、「いかに敵から利益を得るか」「多くの友をもつことについて」「運について」「徳と悪徳」「アポロニオスへの慰めの手紙」「健康のしるべ」「結婚訓」「七賢人の饗宴」「迷信について」の9編を収録。
「いかに敵から利益を得るか」では、敵がいることによって、寛大さや忍耐心、正直さや度量の大きさ、善良さを、友人に対する場合よりもよりいっそう示すことが出来るとプルタルコスは逆説的に語っています。さらに、敵がいるからこそ、用心深さや自身への注意と思慮が養われ、より洗練された生活と生き方につながると説きます。敵の成功と失敗は、自身の向上に役立てることも可能だなのです。
敵の非難に対し平静を保つには訓練が必要です。「もしも敵の非難に沈黙して耐えるのに慣れるなら、毒づく妻の攻撃も容易に耐えられるでしょう。」と述べているが、古代の世界でも夫を責める妻はやはり多かったようで、敵よりも妻のほうが非難の度合いは大きいようです(笑)
人々の「死」、あるいはいつか訪れる自身の「死」を考えるに当たって、プルタルコスが語る「死」の話は参考になります。「アポロニオスへの慰めの手紙」は、息子を亡くした友人を慰める体裁をとって書かれています。若くして息子が死んだため、両親の悲しみはもっともだが、限度を越えた悲しみは自然ではなく、節度を保つことが重要だと、まずプルタルコスは言います。
死は不可避のもので、万人に等しく訪れるもの。また、死は様々な悪からの救いと、考えることも出来ます。さらに言えば、永遠の観点からすれば、人生の長短に大きな差は無いのです。プルタルコスの慰めの言葉が続きます。
慰めの一方で鋭い指摘も。早死にを嘆く場合には、死者ではなく、実は残された自分たちの境遇を嘆いていることが多い、というのは正鵠を射ています。加えて言うと、死者は身体への隷属や人生の不幸や心配から解放されているので、彼らのためには嘆く必要はないのだというのもシビアなアドバイスです。神は死よりも大きな悪を予期して、早死にした若者からその命を奪い、死者は運命によって定められた時間を生きたのである、というのは古代神的な理解と言えるでしょうが、こう考えるのも良い方法なのかもしれません。
このように、上手い具合に彼の息子の死を相対化し、無用な悲嘆にふけることをやめるよう、励ましています。古代人の死生観は、我々が「死」を考える一助になるでしょう。とかく、プルタルコスは具体的な話から抽象的哲学的な話を語るのが上手いです。人間の心性は今も昔も洋の東西も変わらない点が多く、「モラリア」は現代人が読んでためになるギリシア・ローマの古典の筆頭でしょう。