日本にとってのアメリカとは何なんだろう?:「街場のアメリカ論」内田樹、文春文庫

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 「日本にとってのアメリカ」を再考する際に、著者の自由闊達な思弁は一つの切り口として役に立つででしょう。日本人にかけられた「従者」の呪いを「病識」として持ちながらも、主人たるアメリカへの「従者」ゆえの気楽な批判による語り口は、アメリカに対する「ねじれ」た感覚を指摘している、というのが筆者の言う日本人のアメリカ語りの特徴です。「ねじれ」の一例は憲法論議でしょう。改憲派はアメリカに押しつけられたからと憲法改正をアメリカに主張する一方で、その政治的立場はアメリカの世界戦略を擁護する側にあります。逆に日本の左翼は、GHQに押しつけられた憲法を国の宝と護持しているというわけです。日本のアメリカに対して抱える問題の構造はいずれも、ねじれにねじれたものばかりといえるでしょう。
 
 第4章ではトクヴィルの知見を借りて、アメリカの政治システムの根底にあるものは何であるかを指摘しています。それは、表面的なポピュラリティに惑わされて適正を欠いた統治者を選んでも、社会にもたらす悪影響を最小限にとどめるシステムです。人間の愚かさを勘定に入れている点で、アメリカの統治システムは優れているというのは興味深い視点です。。塩野七生さんが「海の都の物語」でヴェネツィアについて以下のように言っていたのを思い出しました。「人間の良識を信ずることを基盤にしていたフィレンツェの共和政体が1530年に崩壊したのちも、それからさらに300年近く、人間の良識を信じないことを基盤にしていたヴェネツィアの共和政体は、存続することが出来ていたのであった。」

 第6章の「子供嫌いの文化」には、はっとさせられるものがありました。なるほど、言われてみればうなずける話です。アメリカの映画やドラマにおける子供の描かれ方は、根底に共通しているものがあると指摘しており、「宇宙戦争」「チャーリーとチョコレート工場」の2つの映画を具体例に説明しています。私も見たことがあるので納得がいきました。他の映画やドラマを考えてみても、子供はいつだって大人を困らせるトラブルメーカーです。自分の権利は自分で守るという思想がある中で、子供が親の「自己実現の妨害者」となったとき、何が起こるか。児童虐待とアメリカ人の内在的論理の相関性の一端をここに垣間見ることができます。
 
 第8章「アメリカンボディ」では、アメリカ人の身体意識とはどのようなものか、多様な示唆が得られます。アメリカ人の身体加工への抵抗感の希薄さは、自分の身体を意思や野望の実現の道具としてみなしていることに由来するというのが筆者の見立てです。しかし、ワークアウトに励む人が多い一方で、肥満が多いのは一体なぜでしょうか。アメリカ人の3割は肥満で(今は約4割)、さらにもう3割は肥満予備軍といわれます。筆者は、そうした肥満ぶりについて、肥満は身体の記号的使用と喝破します。低所得者層の人々が、豊かな文化資本を享受できない社会階層の怒りを表現する際に、肥満は社会的に優位な記号として機能するというのです。いわば、肥満は貧困の裏返しなのです。
 
 宗教、日米関係、ファストフード、アメコミ、戦争観、社会関係資本、裁判といった多様な観点から、アメリカ人のメンタリティを考察する本書は、ユニークな切り口の提示に何度も驚かされながら読めます。日本人にとってのアメリカを考え直す時に、有意な材料を見出す手助けになるでしょう。

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この記事を書いた人

・現役世代を元気にしたいとの思いで新ブログを立ち上げ!
・本は2000冊以上読破、エッセンスを還元いたします
・金融機関で営業・調査部隊双方を経験。
・バックグラウンドは歴史とMBA

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