今日は江戸時代の町人についての本。書いているのは、江戸時代に造詣が深い杉浦日向子さんです。「コメディーお江戸でござる」を思い出しますね。江戸の文化について、イラストと注記で肩肘はらずに気軽に知ることができる1冊です。たとえば、洒落本の説明なども、当時の最先端スタイルブック兼風俗小説兼タウン情報誌という説明をしており、軽妙です。
導入部で、江戸の町人のモテ講座(?)に、江戸美人の変遷、3大モテ男の職業(火消し、力士、与力)などを語った後に、将軍の一日を紹介しています。
6時:起床
6時半:身支度
7時:仏壇
7時半:挨拶
8時:朝食、健康診断
8時半:神棚
9時~12時:学問
12時:昼食
13時~16時:政務
16時~18時:武芸
18時:入浴
19時:夕食
21時:残業、就寝
激務で忙しいのに、さすがに現代から見ると、将軍の食事がずいぶん粗食に思えます。ご飯に加え梅干、煮豆、焼き味噌などの一汁二菜、夕飯には煮物や焼き魚が加わる。夕飯が焼き魚定食がせいぜいって、なんだか可哀相な気がしないでもないですね。しかも、将軍家は血縁の忌日が多いために、月の大半が精進日で魚介酒類は×。こういうわけで、脂肪分もカロリーも極端に少ないのです。しかし、ヘルシーメニューとも受け取れますね。
江戸町人の長屋住まいと家計の支出などは興味をそそられる内容でした。ただ、風呂好きは予想以上で、江戸っ子は朝の仕事前、夕の仕事後の2回風呂に入るとは知りませんでした。出費がかさむのでは疑問に思いましたが、「羽書」というフリーパスもあったそうな。さすがは古代ローマ人と双璧をなす風呂好きの”平たい顔”民族です。「テルマエ・ロマエ」のルシウスにもいずれ江戸の銭湯に来て欲しいものです。混浴については、松平定信、水野忠邦といった堅物の時代に禁令になったくらいで、すぐ元に戻ってしまう様子。おおらかですが、古代ローマだってハドリアヌス帝のとき、やっと男女時間帯別になったくらいだから、似たようなもんでしょう。
池波正太郎さんの「剣客商売」シリーズを読んでいると、出てくる食べ物が妙に美味しそうに思えるけれども、「包丁ごよみ」と同じく、本書でも現代に再現可能な作者のオススメメニューが紹介されています。酒の肴のみならず、豆腐、大根について、こんなに色んな食べ方があるのだなと感じました。豆腐については1782年にベストセラーになった「豆腐百珍」という本があったくらいで、常食にも、大名の倹約メニューにも、粋人の食道楽にも豆腐は欠かせないものでした。大根についても、生で食うもよし、煮るもよし、漬けるもよし。美容健康、二日酔い、風邪、咳、頭痛に効き、廉価でうまい庶民の味方。白米、豆腐、大根の江戸の「三白」の淡白で繊細な味わいに江戸の味覚は集約されています。だがその一方で、屋台も無視できません。すし、天ぷら、そば、茶飯、あんかけ豆腐、いなりずし、かりん糖……現代にもつながる様々な食物が屋台に端を発しているのですから。
江戸っ子の3大娯楽といえば、歌舞伎、遊郭と並び相撲がやはり大人気でした。ここでも、現代の相撲と違うので意外な事実がたくさん。あの雷電が実は筆まめだったとか、髷に色んな種類があったとか、櫛をさすのが当たり前だったとか…この当時は、土俵の四隅の柱を背に審判が土俵上に座っているというのも初めて知って驚きました。
かのペリー提督は「日本人の識字率は非常に高く、男女ともに多くの人が読み書き、店頭にはたくさんの本が並んでいる。」ことに驚嘆し、「あまり年を経ずして、日本が東洋のなかで最も重要な国家の一つに数え挙げられるようになることは、疑う余地がない」と言うに至るほど、江戸時代の文化は世界の中でも進んでいました。シュリーマンの旅行記をにも「本は実に安価で、どんな貧乏人でも買えるほどである。」とあり、車夫馬丁から女性まで本を読んでいることに驚嘆しています。そのくらい、本を読む江戸庶民でしたが、本書で取り上げられているのはまずは「吉原細見」。これは、銀座の社用族クラブ兼芸能界兼ファッション業界ともいうべき吉原の遊女の特技、趣味、容貌をまとめた本です。今で言うなら野球選手名鑑みたいなものでしょうか。次には、これまた大ベストセラーの恋愛小説、柳亭種彦の「偐紫田舎源氏」が取り上げられています。他にも江戸時代の文学には傑作が多いが、それは当時世界でも類を見ない読者層の厚さがあったからこそでしょう。
この本では、意外なことに浮世絵などの絵画文化についてあまり多くは言及していない。紹介するのは、なんと春画です。しかしながら、春画を特集するのは立派な理由があって、当時の名だたる絵師たちはほぼ例外なく、春画においても活躍しているのです。ざっと挙げるだけでも、そうそうたる顔ぶれ。
菱川師宣:『小むらさき』
勝川春章:『絵本色好之人式』
鳥居清長:『色道十二番』
鈴木春信:『雪中相合傘』
喜多川歌麿:『歌まくら』
歌川豊国:『逢世雁之声』
葛飾北斎:『萬福和合神』
渓斎英泉:『夢多満佳話』
歌川国芳:『華古与見』
富岡永洗:『八雲の契り』
しかも、ペンネームがこれまたすごい。
葛飾北斎→鉄棒ぬらぬら
渓斎英泉→淫乱斎英泉
歌川広重→夜毎好重
歌川国芳→ほどよし(艶本『花結色陰吉(ほどよし)」
歌川国盛 → 淫水亭開好
渓斎英泉と歌川広重は、完全に隠す気がない(笑)歌川国盛は完全に御開帳の様相。葛飾北斎が強烈すぎます!鉄棒ぬらぬらとは…北斎が晩年名乗ったペンネームは画狂老人卍というのだから、現代にも通じるハイセンスぶり。しかもこの人が描くのときたら、このサイトにまとめてあるように、百合展開、驚愕プレイ、擬人化、やまらのおろち、触手と、時代を先取りしてやりたい放題すぎです。ふぅ、ちょっと富嶽三十六景でも見て落ち着こうか……