『週間ダイヤモンド』に連載されている「『超』整理日記」の1998年4月~99年3月分から、23のエッセイが本書には収録されている。とりわけ面白かった「撃力というノウハウ」「大蔵省 終わりの始まり」「経済学者の破壊力」の3編を紹介しよう。
「撃力というノウハウ」
機械の取っ手が錆びついてしまったらしく、いくら押してもびくともせず筆者が困っていたところ、応用物理学科の先輩がいとも簡単に取っ手を動かしてしまった。これは、徐々に力を加えたのではなく、ドンッと取っ手を叩いたためだあった。「木材の上に立てた釘の上に金槌より重いものを載せても、釘は中に入らない。しかし、金槌をふりあげて打つと、釘は簡単に入る」のはなぜかというのが、物理学の基本問題であり、ここからエネルギーの概念が生まれたそうである。
政府の経済政策についての話題に対して、この話を引用して批判している。戦力の逐次投入は下策で、やるときはじわじわと力を加えるのではなく、一挙に力を加えるのがよいというわけだ。いわゆるランチェスターの法則に通じる。「加害行為は一気にやってしまえ。長期に渡って相手を被害状態に置かないように配慮すれば、それだけ相手を怒らせないですむ。これにひきかえ、恩恵を与える場合は、たっぷり相手に味わってもらうように小出しに与えよ。」とマキャベリも言っている。いや、これはちょっと違うか…
このことは、物理学からの応用が利く知見だが、それに対して経済学からの知見も紹介している。生活における考え方、判断に役立つネタになるかもしれない。
1:サンクコストは無視せよ
過去のいきがかりを捨てて、将来のことをのみ考えるべし(Let bygones be bygones.)」多額の投資が無価値であるとわかったとき、なんとか使って元を取ろうとは思わずに、捨ててしまうほうがよい場合もある。公共事業などは、サンクコストに縛られて意味のない工事を続けている可能性もあるだろう。それは私たちの日々の生活にもあるのかもしれない(恋愛など)。
2:機会費用(オポチュニティ・コスト)を考えよ
現金支出がないからコストがゼロであるわけではない。その資源をもっとも有効に使っていたら得られるであろう利益がコストである。”タダ”のものを利用する時、それは本当はタダで得られているものではないかもしれない。テレビ番組がいい例だ。テレビ番組は基本的にタダだが、見るには時間がかかる。その時間を使って他のことができたかもしれない。それがテレビを見るときに発生している機会費用である。
3:最小の費用で最大の効果という目標を追い求めるな。
このようなものは現実には存在しないので、追求すべきは、一定のコストで効果を最大にすること、あるいは最小の費用で一定の効果を得ることである。こうした割り切りが、日々の仕事をこなすうえで役立つこともあろう。
4:価格を引き下げて総収入が増える場合がある。
価格を下げると需要は増える。価格に対する需要の感応度(価格弾力性)が高ければ、総収入は十分に増える。一般に、コメや野菜などの生活必需品は価格弾力性が小さく、宝飾品などの贅沢品は価格弾力性が大きいといわれる。
「大蔵省 終わりの始まり」この本のエッセイは、1998年だったから大蔵省の一連のスキャンダルがあった年だ。たとえば、銀行のMOF担とよばれる行員が大蔵官僚の接待にノーパンしゃぶしゃぶ店「楼蘭」を使用していたなどのスキャンダルがあった。それはさておいて、国債の問題が書かれているので、この章は重要だ。
国債が将来世代に負担を転嫁するという、国債を家計の借金になぞらえた考えは実は誤りというのは、知っておくべきことだ。税金で徴収された資金は、国債の償還金となって国債保有者にもどる。その資金は消滅してしまうのではない。だから、国債がない国際である限り、国全体としての利用可能資源が減るわけではない。
このことは、サミュエルソン、ラーナーなどにより、1950年代には経済学者の共通認識となっていた。どうしても国債を家計に例えるなら、夫が妻に借金をすると考えるとよい。日本国債は95%が国内で消化されているので、家計の外からの借金というよりも、家計の中での借金といったほうが理解しやすいだろう。
また、ここでは大蔵省にとって国債が望ましくない理由についても語られている。
1:国債は権力的に調達できる財源ではなく、市場に消化してもらう必要がある。
→大蔵省の立場を弱体化させる。
2:国債発行を無制限に認めれば財源制約がなくなる
→予算要求を却下する最終的な理由「財源がない」が使えなくなる
3:国債は、いつかは償還しなくてはならない。
→償還のための財源調達の増税に将来の主税局は苦心するだろう
4:国債残高が増加すれば利子支払が増加
→他の財政支出に充てられる財源が減少
大蔵省が弱体化した日本は、歪みのない経済政策論議が行われる国になっているかどうか?と結んでいる。しかし、残念ながらそうはならなかったようだ。少なくとも、打ち手は非常に少なくなっているといえよう。国債残高は1998年度はまだ300兆円くらいだった。1000兆円を突破した現在の半分以下だ。まだましな対処もできたかもしれないのは、悔やまれるところだ。
「経済学者の破壊力」では、楽しいジョークがたくさん紹介されている。「あの人は経済学者に違いない。だって、彼の答えは完全に正確で、しかもまったく役に立たない」のような、経済学者についての自虐的なジョークが中心だ。面白かったものを最後に紹介して終わることにしよう。
軍事パレードで、まず、戦車部隊が行進してきた。つぎに、ロケット部隊、砲兵部隊…
最後に行進してきたのは素手の男達である。
大統領「彼らはいったい何者か?」
側近「彼らはエコノミストです。」
大統領「なぜエコノミストが軍事パレードに参加するのか?」
側近「彼らの破壊力は、他の兵器よりもはるかに強力だからです。」
ある政府のアドバイザー採用面接における問題:
「1+1はいくつか。」
数学者「通常学校で教えられている数学では2ということになるが、これとは異なる答えを導く公理体系を構築することは不可能ではない。」
法律家「2であるとは思われるが、それをサポートする証拠を直ちに集めるのは難しい。」
コンピュータ・サイエンスの専門家「たぶん、2か3でしょう。表計算ソフトを使って確かめてみましょう。」
経済学者「あなたがたは、いったいいくらになることをお求めなのです?」
実話ジョーク
理学部数学科の教授との議論で、筆者が言われた一言「あなたの話は具体的すぎて理解出来ない。もっと抽象的に述べてください。」