SNS時代の今、まさにいま読むべき古典:「群衆心理」ギュスターヴ・ル・ボン、講談社学術文庫

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「群衆心理」はフランスの社会心理学者ル・ボンが1895年に書いた歴史ある古典です。そのため、フランス革命の分析など時代を感じさせる箇所もありますが、群衆の居所がネット空間にも広がった今、読む価値が高い本です。アドルフ・ヒトラーの愛読書としても有名で、その意味でも重要です。麻生太郎の粗雑な「ナチスの手口」発言がありましたが、群衆心理を熟知してプロパガンダや演説を駆使して、一大ムーブメントを起こしたナチスの手口を知らないと、同様の事態が起こりかねません。あなたが、その他大勢の1人として、群衆に埋没しないために読んでおくべき1冊と言えるでしょう。

まず、群衆を動かすには正しいロジックや事実はいりません。まさに、「群衆の指導者は、簡潔な断言と反復と感染という手段を用いて群衆を操る」のです。ヒトラーのみならず、世のポピュリズム政治家の常套手段と言えるでしょう。ル・ボンはこう言います。『群衆の精神に思想や信念をうえつける場合、指導者は断言と反復と感染という用法を用いる。証拠や論証を伴わない、簡潔な断言であればあるほど、群衆の精神に浸透しやすい。そして、断言はできるだけ同じ言葉でくりかえし群衆に伝えられなければならない。反復は、広告の効果を見ればわかるように、見識ある人々にも強く作用する。断言が十分にくりかえされ全体の意見が一致したとき、意見の流行が形成され、集団への感染作用が働く。感染は、意見のみでなく、ものの感じ方をも人々に強制できるほど強力である。』広告や人気のドラマなどに通じる部分があるかもしれませんね。

『群衆の想像力を動かすのは、事実そのものというより、事実の現れ方なのである』。その理由は、『群衆は程度の高い推理と同じように連想にもとづき推理するが、その際、類似や関連する外見上の関係しか用いない』からです。Twitterで議論が深まらない、あるいは深まった議論より単純な共感を生む印象論が大きく伝播しやすのは、140字という制約に加え、思考の節約をする群衆化した個人が多いからなのです。『群衆の感情は非常に早く伝播する。ただし、群衆中の個人は、微妙なニュアンスを介さず、物事を大まかに見る。そのように、群衆の感情は単純かつ誇張的であるため、その強さを増しながら、広がっていく。こうした、群衆に特徴的な感染は、群衆自身に疑惑や不確実の念を抱く余地を与えない』のだとしたら、事実や客観的なデータ、慎重な推論に基づいて物事をじっくり考えたり、意見を主張することは、きわめて貴重な行いと言えるでしょう。

米国において本格的な暴動が猛威を奮っていますが、平和的な抗議運動はいったいなぜ、略奪・放火など過激化してしまったのでしょうか?ル・ボンは群衆は、個人ではできない野蛮な行為も簡単にこなしてしまう理由を、大きく3つ上げています。理由の1つ目は、責任観念が希薄になることです。群衆に属すことで、個人の責任観念が薄れ、本能のままの行為が引き起こされやすくなります。『群衆には、責任観念が不足している。そのため、単独でいる個人では考えられない過激な感情をもち、行動することがある。単独でいる個人は行為に伴う罰を恐れ、本能に従わないことが多い。しかし、その個人が群衆のなかに吸収されると、個人の責任観念が薄れ、狂暴な破壊本能に従いやすくなってしまう』

理由の2つ目は、群衆においては感情や行為が感染しやすいことです。さらに、3つ目は、群衆においては被暗示性が高まるためであり、群衆に属する個人を『もはや彼個人ではなく、自分の意志をもって自分を導く力のなくなった一箇の自動人形』にしてしまうほどだとル・ボンは言います。『群衆は暗示にかかりやすい。そして、理性の力にたよることができないために激しい感情に活気づけられ、批判精神にも欠けていることから、物事を極度に信じやすい性質をもつ。群衆にとっては、真実らしくない事象は存在しない』

理性と自律性を保ち、目の前とネット上の熱狂からは距離を置くこと。こうした態度を保ち続ける個人が多いほど、社会の群衆化に抗うことが出来るのです。脱群衆化のために、まさに今読んでおくべき1冊と言えるでしょう。

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この記事を書いた人

・現役世代を元気にしたいとの思いで新ブログを立ち上げ!
・本は2000冊以上読破、エッセンスを還元いたします
・金融機関で営業・調査部隊双方を経験。
・バックグラウンドは歴史とMBA

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