勝負師を育てる土壌、壁やスランプへの立ち向かい方を学ぶ:「人生一手の違い」米長邦雄、祥伝社文庫

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人間における勝負の研究」の続き。前書では、自身の勝負と生き方の哲学について、主に内面的な問題を語っていました。谷川浩司の両親や、羽生善治ら台頭する若手たち、さらには自身の師匠、内弟子、ライバル…「人生一手の違い」は、勝負師の内面よりも、外面的な点について、勝負師を育てる土壌とは何か?を読み解く1冊となっています。

目次

勝負師を育てる土壌―谷川浩司の例―

たとえば、昭和58年に史上最年少の21歳で谷川浩司は名人になりました。では、谷川浩司の強さの源泉は何か?才能・努力・運…考えると、谷川の両親に行き着きました。谷川浩司の両親を伺うと、父の憲正氏は住職。この人物、実によくしゃべり、よく笑き、聞けば一度も怒ったことが無いというのです。一度も怒らずに子供を育てるのは並みの人間に出来ることではないでしょう。

「家の空気が丸くて笑っている」。これは、子供の育つ環境として重要です。兄弟げんかを収めるために、憲正氏は将棋盤と駒を与えました。負けず嫌いの兄弟はみるみるうちに腕をあげていきました。

小学生になった谷川浩司は地元の将棋道場に通い始めます。息子が将棋を指している間中、憲正氏は外で待ち、道場をのぞき続けていました。ある人が尋ねて言うには、
「あなたも相当将棋が好きですね、腕前もいけるんでしょう?」
「私、将棋を知らないんです」
「将棋を知らないで、そんなことしていても面白くないでしょう?」
「いいえ、子供が喜んで将棋を指しているのを見るのが楽しいんです。」

この父にしてこの子あり。谷川浩司の強さは、父親の思いの強さにあると、米長氏は指摘します。その後谷川浩司は中学2年のとき、四段に昇段してプロデビュー。加藤一二三以来、史上2人目の「中学生棋士」の誕生ででした。そしてその加藤一二三を破り史上最年少名人となりました。

さらに兄の俊昭は東京大学とリコーで将棋部に在籍しアマ強豪として名をはせました。四段時代の羽生善治に平手で勝ったこともあるというのだから、驚きです。

親自身の生きる姿勢と、子供に対する思い(=愛情)が、その子の人生を大きく左右すると、米長氏は結論づけます。誰かが喜んでくれるのが励みになるというシンプルな事実。子供が自分がやっていることを、親が喜んでくれるのと無関心なのとでは、天と地ほどの差があるわけです。

壁にぶち当たったとき、自分の歩いてきた道を変更する柔軟さ、許容範囲の広い判断基準、そして勇気を持ち合わせていれば一番いい。しかし、そうでなければ、横から腕を引っ張ってくれる友人、師匠がいるかどうかが勝負どころの一手を左右することになります。

米長邦雄の原点は「詰め将棋の1七飛」から始まりました。大人たちが解けなかった詰め将棋の初手を―おそらくはあてずっぽうだったが―当てたことで、望月千代吉先生が繰り返し、天才だと褒めてくれたことに端を発するのだとか。こうして、幼心に将棋を面白いものだと感じ、勉強に励むようになったそうです。

スランプ脱出術―米長邦雄、中原誠の例―

米長流スランプ脱出術は、生活を一部変えて流れを変えることだそうです。例えば、タイトル戦の最中は酒は飲むが、女性からの誘惑には乗らない。美人と二人きりになってもホモを演じ続けたのだとか。すると、6八歩の妙手がひらめき、十段戦七番勝負を勝ち抜いたそうです。

勝負事は苦しいとき、いかに粘るかが大切。無冠になったスランプ中の中原誠を、著者は2つの視点で観察しました。本業に対するどんな姿勢で取り組むか、私生活をどうするかの2点です。まず、中原は毎日のように夕方になると、将棋会館に出没。控え室で棋譜を並べていると、若手も自然と集まり、研究と議論になります。会社でたとえるなら、何期も社長を務めた人物が、新入社員と議論しているようなものです。こうしたことは、なかなか出来ません。しかし中原は平然と続けました。

私生活では詳しいことは解からないが、著者が後で聞くとこのとき色々読んだ中で「左遷の哲学」「落日燃ゆ」の2冊がよかったという。早速読むと「落日燃ゆ」に「風車 風が吹くまで 昼寝かな」という一句がありました。欠点についてあれこれと考え込むのではなく、自分自身がスランプだと自覚して何らかの手当てをした場合に脱出できる。スランプというのは、結局本人一人の問題であり、本人が出来るだけ早く、ゼロから出発しようとなるのが一番いいのだそうです。

だからこそ、中原誠は初段、あるいは新四段のつもりで将棋に接しようと思ったでしょう。その精神状態は、すでにスランプを脱出しているというわけです。あとは「風が吹く」のを待つだけ。こうして中原は王座と棋聖の二冠を取り戻しました。

新鋭名人の両親、若手の台頭、自分の内弟子、そして自身の内弟子時代、日本経済から、スランプへ―勝負師の内面というより勝負師を取り巻く環境・状況について著者は筆を進めてきました。そして最後に登場させたのは、囲碁の大棋士藤沢秀行です。

藤沢秀行は、37歳で名人位に就くまでは真面目を絵に描いた人物だったが、突如として狂ったように”飲む打つ買う”をはじめ、たちまちアルコール中毒に陥る。しかし、どんなに酒びたりになっても、碁の勉強を忘れず早朝から棋譜を並べるのです。前著「人間における勝負の研究」にもあるとおり、「遊びとは仕事の影である。」だから、大きな仕事の影は、やはり大きいということでしょうか。はたして、1時間、2時間でも真剣な時間を毎日持つ人は世にどのくらいいるでしょうか。そうした積み重ねの努力をする者に、勝利の女神は微笑むのです。

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この記事を書いた人

・現役世代を元気にしたいとの思いで新ブログを立ち上げ!
・本は2000冊以上読破、エッセンスを還元いたします
・金融機関で営業・調査部隊双方を経験。
・バックグラウンドは歴史とMBA

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