バートランド・ラッセルの「怠惰への讃歌」で「子どもに同情しすぎるのは誤りである」という主張があります。すなわち、「いつも同情してもらえる子どもはちょっと嫌なことがあるだけで、泣き続けるものの、普通の大人なら持っている自制心を子どもに身に着けさせようと思ったら、いくら喚き散らしたところで、一切同情はしてもらえないということを分からせるしかないのである。」というものです。
ラッセルの言い回しはやや突き放した印象も受けるますが、的を射ている面もあります。同情や共感の気持ちは、子どもの自制心の育成を削いでしまうことにつながることもあるのです。たしかに慈愛は尊く、親の豊かな愛情は子どもの自己肯定感を育むのでしょう。そのうえで、さらに子供のためになるのは、むしろ自制心を育てることではないでしょうか。
自制心は、将来のより大きな成果のために、自己の衝動や感情をコントロールし、目先の欲求を辛抱する能力と言い換えることができます。この自制心の重要性を示した実験では、マシュマロ・テストが有名です。
これは4歳の子どもに対して行われた実験で、子どもはまず机と椅子だけの部屋に通され、椅子に座るよう言われます。机の上には皿があり、マシュマロが一個載っています。実験者は「私はちょっと用がある。それはキミにあげるけど、私が戻るまで15分の間食べるのを我慢してたら、マシュマロをもうひとつあげる。私がいない間にそれを食べたら、ふたつ目はなしだよ」と言って自制心を試すのです。
すぐ手を出してマシュマロを食べた子供は意外にも少なかったが、最後まで我慢し通して2個目のマシュマロを手に入れた子どもは、結局1/3ほどでした。追跡調査によると、自制心の有無は持続しており、マシュマロを食べなかった子どもと食べた子どもをグループにした場合、大学進学適性試験(SAT)の点数だけでなく、年収などにおいても生涯のずっと後までグループ間の差が継続していることが明らかにされたのです。
人間にはマシュマロを即座に食べてしまう「ホットな情動システム」と、一定時間待ちつづけて2つ目のマシュマロを首尾よく受け取る選択をする「クールな認知システム」という2つの性質が人間には備わっています(行動経済学の本だと、ファストとスローなシステムとも言われますね)。
情動、感情に身を任せるなら子どもにだってできます。もちろん、喜怒哀楽を表現していけないというのではありません。それをいかに適切な形で表現して、あるいは抑えて、自分の望むものを手に入れるかが重要です。その力とは、感情のコントロール、自制心です。
そもそも、人間は生まれると、あらゆる要求を泣くことを通じて叶えることを覚えます。これこそまさに感情を使用して相手を動かすことです。泣いたり、すねたり、怒ったり、悲しんだり、といった感情を使用することで、小さい頃の私たちは親や大人たちを思うように動かしてきたのです。心理学者のアドラーが言うには、「感情を使って相手を動かそうとするのは子どものやることである。おとなになったら、理性や話し合いにより問題を解決すべきである。」。怒りで部下を動かそうとする上司を見たら、子供なんだなと思ってやり過ごしましょう。
子どもを育てるとは、こうした態度を身に着けさせることとも言えるでしょう。それだけではなく、工夫によって欲しいものを得る力というのもまた、人生にはとても重要な能力と考えられます。前述のマシュマロ・テストでは、こんな分析も報告されています。
「隠しカメラの映像を分析した結果、マシュマロを見つめたり、触ったりする子どもは結局食べてしまう率が高い。しかし、その一方で我慢できた子どもは目をそらしたり、後ろを向いたりして、むしろマシュマロから注意を逸らそうとする傾向があることが観察されたのである。」
欲しいものを手に入れるために、自分の行動をどのようなものにして情動を制御するか。単に我慢するだけでなく、そうした工夫で楽に、あるいは上手く望む結果へと自身を誘導できる人間はきっと良い人生を送ることでしょう。