戦国の世が過ぎ、いつしか武士は、今でいうサラリーマン、あるいは公務員のような存在になっていきました。リストラ、左遷人事、賄賂、社内恋愛…など、現代のサラリーマンと重ね合わせながら、“宮仕え”の面白くも哀しい内幕について知識を深めつつ、現代のサラリーマン生活と通じる点を見出し、共感と示唆を得るのが本書です。
目次と各章のキーワードをまとめるとこんな感じになります。
1章 “やりがい”はお持ちでござるか?―面白くも、やがて悲しき「宮仕え」
お城勤め、出世の心得、抜擢、派閥争い、左遷人事、窓際族、無断退職、定年後
2章 やり繰りは首尾よくせねばならぬ―マネー感覚いまも昔も…
給料、アルバイト、借金、使い込み、賄賂、内助の功
3章 人生すべからくエンジョイすべし―役得もあれば密やかな愉しみも…
社用族、出張、社内恋愛、不倫、マイホーム
4章 自分をいかに納得させるかじゃ―組織ゆえの、あぁ不条理
異動、出稿、単身赴任、引責辞任、連座、倒産、造反、役員、支社
5章 時代の荒波にいざ立ち向かわん―財政難の世を渡る
リストラ、就職活動、賃金カット、ストライキ、脱サラ
全体として、現代に通じるキーワードをベースに、江戸時代における具体例を語り、わかりやすい良著。とりわけ面白かったのは第2章と第4章だったので、それぞれについて少しご紹介していきましょう。
2章では、武士達の金銭事情のお話が語られています。まず、給料がなんとも複雑です。大名の収入は石高、つまりお米であり、額面通りにとれるところとそうでないところがあります。そのうえ、毎年の米の値段という問題と、貨幣と物価の変動もあり、江戸時代を通して一様なものではありません。サラリーマンたる武士達は米で給料をもらったら、食い扶持以外は金に替える。ここで米を金に替える商人がいわゆる札差です。こうした札差が今でいう金融業を担っていました。
上から下まで、武士は借金漬けになってしまうのですが、もちろん、幕府も手をこまねいていたわけではありません。拝借金(救済用)、取替金(立替用)、貸付金(利殖用)といった金融政策があったようです。しかし、こうした施策は対処療法でしかありません。武士の給料は定額でしかも減ることもあるのに、経済的繁栄により物価は上がるのだから、構造的にはそもそも解決できないの悩ましい問題でした。こうした貨幣経済の発展に対応できる人材はいなかったのかと疑問が浮かび上がりますが、もしかすると田沼意次だったのかもしれません。
こうして困窮する武士階級の一部には、副業のアルバイトに精を出す者もいました。今なお続く土地の名産が、武士の内職に起源を持つ場合も少なくなく、文筆家にも意外に武士が多かったのです。たとえば、恋川春町、朋誠堂喜三二といった黄表紙の作者、「偐紫田舎源氏」を書いた柳亭種彦なども武士でした。こうした作者はてっきり町人だろうと思っていただけに驚きました。
藩という組織の中の武士も面白いです。ここで、藩は会社にたとえられるでしょう。社内政治もあれば、不祥事もあり、その一方で単身赴任や異動といった個人の事情もあります。様々な悩みを抱える武士達も、きっと愚痴の一つもこぼしていたのでしょう。そしてそうした悩みは、今の我々の時代に通じるものが節々に見られます。社会制度や価値観は時代によって違えど、とかく人間社会というのは変わらない面も多いのかもしれません。夏目漱石が言っていた言葉が思い出されます。
『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。』