分断とSNSの時代に必要な3つの考え方―唸り・呟くネズミにならないために―

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「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」とは、イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルの言葉だ。だが、古来からの伝統を持つイギリスの議会がBrexitをめぐり混迷を極めていた様子の詳細は、あらためて解説するまでもないだろう。とはいえ、だからといってその他の欧州各国に加え、米国も日本も決して笑える状況にはない。WSJ紙の経済担当チーフコメンテーターは「中道派の弱体化は世界の政治をまひ状態に 」陥れており、「分断化が続くことが新たな均衡だ」と論考を締めくくっている。

サイモン・ヒックス教授によると、2007年~2016年に西欧諸国の社会民主主義(中道左派)政党の得票率は31%から23%に、中道右派政党の得票率は36%から29%に低下したそうである。インターネットの存在が、従来の政党の牙城を切り崩す一因にもなったようだ。「何の規制も受けずにメッセージを支持基盤や支持基盤の中のオピニオンリーダーに届けられることが、新興政党の大きな力になった」とカトリン・デフリース教授は指摘する。

すなわち、強力な通信技術の追い風を受けて、新興の非主流派政治運動を主導する人々はただ、中道政党は失敗したと主張するだけでよかった。さらに停滞する賃金や金融危機、歯止めのきかない移民流入などがこの傾向を後押しした。「大衆の反逆」でオルテガが述べるように、「我々の時代は以前よりも多くの手段、多くの知識、多くの勝れた技術をもちながら、過去のあらゆる時代よりも不幸な時代として、その波間に漂うているのである」のかもしれない。

こうした動きが導いた現代の政治の膠着状況を指して、WSJ紙論説室の副委員長は「我々は望まないことについては阻止する政治的手段を持っているが、必要とするものについては実現させることができなくなっていると述べる。まさに、その通りだと感じる。

「メディアの増殖に伴って、どんな政策の細部についても、反対者は合意を妨げるためのプラットフォームを複数持てるようになった」。これを言い換えると、わめきたてる人の声はソーシャルメディアという拡声器を通じて大きくなるばかりで、建設的な提案や冷静な現状分析を行うことができる少数派の声は聞かれなくなるということだ。

その結果、「現代政治の感情的欲求は満足させるものの、現実を損なうことになる自己欺瞞に基づく意識的行動」が多々行われている。たとえば、Brexitが典型だ。経済合理性が明らかに欠けているにも関わらず、政権や漠然とした現状に不満を表明するために、有権者自身もよくわかっていない方針を決めてしまったのである。

こうしたことが起きている理由の1つには、「政治家および外部の派閥が大規模な制度変更についてどのように実行するかという具体的なアイデアなしにあおり立てていることがある」と筆者は指摘する。筆者が指摘するもう1つの理由は、抑制の効かない人々の台頭である。「政治的な派閥は永続的なものだ。新たな要素はソーシャルメディアという拡声器により、政治家や派閥が実態以上に人々を脅かす存在となっている点である。」ことが、現実を損なう行動へと大衆を導いている。日本においては、新聞や、ワイドショーなどのテレビメディアが典型だろう。そうしたメディアは、有権者の感情を盛り上げることにばかりフォーカスしすぎる傾向がある。何かをどのように進めるかというゲームプランを示すわけではなく、ひどい場合には、論点として取り上げるのにあまりにも些細な問題を強調する。国益と社会にとっての優先順位を考慮しないために、事の軽重を見失っている。

ノイジー・マイノリティが提示し続ける疑似論点や、便利でわかりやすい陰謀論によって得られる安易な納得感、単なる現状の不満の表明に対する共感は広まりやすい。センセーショナルなデマ、あるいは意図せざる事実誤認に基づいた衝撃的なアイデアのほうが、緻密な分析に基づく論理展開や度重なる議論の末に導かれた結論よりも、幅広く流布するのである。

ツイッターのリツイートやイイネ、あるいはフェイスブックやインスタグラムなどにおける類似の機能は、まさにこの傾向を助長する。筆者の諦観に満ちた嘆きはこうだ。「ツイッターはまさにうなり声を上げるネズミである。政治家たちはよく分からずに自らを英議会や米議会の議場において、つぶやくネズミに変えてしまった。彼らはわなにはまったように見える。そしてわれわれも同じだ。

私も同感ではあるが、あきらめの中に安住する気はない。できることは、まず第1に、バランス感覚に基づいた良識ある見解を示し続けることだ。あまりに面白くもない主張であるとは百も承知しているが、こうした人々の足腰が弱まっていることが、前述のように欧州の政治の分断を招いているのである。

一つの論点を描写するにあたって、たとえば朝日新聞、産経新聞が書く主張は多くの場合、決まり切っている。その理由は、事実を自分たちの都合の良いように読み替えて、引き寄せるからである。こうしたことをできるだけ避けることが、彼らと同じ過ちを防ぐ。

第2に、何事も冷静かつ丁寧に文脈を読み解くことも重要だ要人の言葉の一端を切り取って騒ぎ立てることよりも大切なことは他にあるはずだ。意図的な誤読さえもメディアによって時に行われる有様には知的誠実さが感じられない。争点作りよりも、適切で重要度の高い論点について思考の営みがなされることのほうがずっと建設的だ。事の軽重に思いを馳せてみよう。

第3に、SNS上でシェアする意見は吟味することだたとえば、単なる不平不満の発露と、社会における重要な論点に対する指摘はどちらは広められるべき情報だろうか。そうしたことを立ち止まって考えてみよう。マイナスな情報を拡散するのとプラスな情報を拡散するのとでは、どちらがいいか自問自答してみよう。

また、真偽不明な情報についても慎重に対するべきだろう。この人物はどういった経験、思考、統計、証言などに基づいて主張をしているのか?ポジショントークで、結論ありきで何でも解釈していないだろうか?この解釈は妥当なのだろうか?ロジックを端折っていないか?真偽は別にして、感情を煽り立てることが目的ではないか?複数の観点から思いを巡らせてみよう。

以上の3点を心がけるだけでも、唸り声を上げる呟くネズミたちとは一線を画すことができるだろう。

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この記事を書いた人

・現役世代を元気にしたいとの思いで新ブログを立ち上げ!
・本は2000冊以上読破、エッセンスを還元いたします
・金融機関で営業・調査部隊双方を経験。
・バックグラウンドは歴史とMBA

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