将棋棋士の著作が多い角川oneテーマ21から、故・米長邦雄永世棋聖・将棋連盟会長の著作を紹介します。「人間における勝負の研究」をはじめ、祥伝社文庫の著作が有名ですが絶版なので、本書のほうが書店で入手しやすいでしょう。
内容は、おなじみの米長邦雄さんの人生・勝負哲学。表題には、運ではなく、あえて”不運”を持ってくることが心憎いですね。単純に運を引き寄せることを語るのではなく、不運にどのように立ち向かうかによって運を引き寄せることを語るのです。逆説的ですが、不運があるからこそ運があるとも言えそうです。筆者は要点を以下のように述べます。「肝心なのは、負けた後にどうするか、不運の渦中でどのように動くかである。将棋も、人生も、この一手の違いでその後の展開は大きく変わるのである。」
世の勝負論は「勝つためにどうするか」を論じたものが多いように思いますが、本書はむしろ逆で「負けた後にどうするか」を強調します。考えてみれば、スポーツに限らず、勝負事も人生も、1回こっきりで終わりではありません。勝つときもあれば、負けるときもあるのです。ならば、むしろ負けた後に、次の勝ちのためにどう行動を起こすかが重要でです。
では、勝負の最中、とりわけ不利な形勢の中で、プロの棋士は何を考えているのでしょうか。筆者は、タイトル獲得19期と歴史上に残る強者です。そうした強豪棋士が逆転に向けてどのような心理状況で盤面に向かっているか。筆者はこう述べています。
「すべからく、プロ棋士は不利な形勢に置かれたときはじっとしながら、逆転するにはここでどういうことをすべきか窺っているものである。今は自分が不利だが、相手はどこかで絶対に間違える。俺がこのあと百点満点の手を指し続け、これ以上形勢を悪くしないで粘っていけば、必ず相手はどこかで間違えるぞという気持ちで指している。」
一発逆転の手を追求するのではなく、悪手を指さずに粘ることで、不利な形勢でありながらも、むしろ相手にミスをすることへのプレッシャーを与えるというのです。劣勢になると局面を複雑にする手を指して逆転を狙う棋風から、「泥沼流」と呼ばれる著者の勝負感とはおよそこのようなものです。
不利な形勢で悪手を指さないことが逆転に通じるという考えは人生にも応用できます。「まさに、人生は悪手の山だ。最善手を探すのは大変だが、悪手を指すのはいとも簡単なのである。人間が欲望通りに行動すればたいていは悪手になると言っても過言ではない。こういう状況の中では、少なくとも現在の自分よりも悪くならない手を探すことが大切である。極端な話、悪手でなければどんな手をさしても構わない。」
また、昨今の安易な勝ち組・負け組論にも警鐘を鳴らしています。「今、巷にあふれている勝ち・負けのスケールは、自分ではなく、他人の決めたものである。受動的な基準にばかり反応し、自らの価値観に基づいた能動的な幸福が軽視されている。」
このことについて、著名・脚本家の虚淵玄 氏も以下のように述べてます。「あるいは将来や社会という大きな視点で見ると悲観的な考えになっていく。そういうことではなくて、あくまで自分に即した理想、快楽、達成感を軸に据えれば、そこには誰も干渉できません。たとえそれが傍から見て愚かだと思われても恥じることではなかろう、と。幸せを感じる枠組みを変えてしまうことが大事なんじゃないかと思うんです。」
こうして、人生や勝負哲学を語る著者は「孤独な時、不運な時に心を強く保てるものこそ、真に強き者なのである。」と結論づけます。この言葉は、「人間の偉大さは恐怖に耐える誇り高き姿にある」 という古代ローマの史家プルタルコスの言葉にも通じるところがありますね。現在の日本の状況はまさしく逆境そのものですが、しかし、そのようなときにこそ、心を強く保つ必要があり、避けようのなかった不運から、運を呼び寄せることにつながるのです。