ジャイアント馬場は背が高いのか?低いのか?、文章術でなるべく形容詞を使わないほうが良い理由とは?:「原因と理由の迷宮」一ノ瀬正樹

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文章を豊かにする形容詞・副詞などの修飾語。しかし、文章がメタボになる原因としてなるべく少なくしたほうが良いとよく言われます。例えば、『トム・ソーヤーの冒険』のマーク・トウェインは、「形容詞は削れ。完全にとまでは言わないが、大半を削れ―残った形容詞には価値がある」と言っています。また。スティーブン・キングは、著書『書くことについて』で、「地獄への道は副詞で舗装されている」とまで言い切り、自戒も込めて副詞の乱用を攻撃しています。

では、なぜ形容詞・副詞などの修飾語は、曖昧性をなるべく廃した達意の文章において、伝達の足を引っ張ってしまうのでしょうか?そのヒントは、「原因と理由の迷宮」一ノ瀬正樹、勁草書房 (双書エニグマ)にありました。ソライティーズ・パラドックス(Sorites paradox、ソリテス・パラドックスとも)と境界線事例の話が一つの考える材料になります。

ソライティーズ・パラドックスの一例は、端的に言うと、「高い」と「低い」の境界はどこにあるのだ?ということです。仮に身長220cmの人を背が高いと仮定すると、身長219,9cmの人も背が高いといえるでしょうか?わずか、1mmの差で、背が高いかそうでない人になるとは考えにくいので、219,9cmの人も背が高いというべきでしょう。しかし、このような考え方を前提として認めた場合、219cmは背が高い、218cmは背が高い…(以下エンドレス)と続けていき、「高い」「低い」の境界線はどこにあるのかわからなくなってしまいます。続けていくと結局、身長100cmの人でも背が高いということになってしまう。だが、たとえば身長100cmの人の身長を、背が高いと言えるでしょう。これが、ソライティーズ・パラドックスの一例です。

このように、形容詞、動詞、副詞を文で使ったとき、真とも偽ともいえない「境界線事例」(borderline case)が現れます。そのような境界が生じることが曖昧性の特徴で言えるでしょう。言葉って、なんて曖昧で不明瞭なものだろうと、当時の授業で思ってしまったことを覚えています。
 
 こうしたソライティーズ・パラドックスの問題点として、以下の四つが挙げられます

 一つ目は、曖昧な述語が当てはまるかどうかを決定する境界線がないことが理論的に分かっているのに、切断点(cut-off point)があるように感じてしまうこと。

 二つ目は、わずかな違いであれば、曖昧な述語の使い方に関して相違は生じないという考え方が、ソライティーズ・パラドックスにおいて適用されるか否かという疑問。

 三つ目は、曖昧な述語が明確に当てはまる領域と、明確に当てはまらない領域との間の境界線事例がどこから始まるかについても曖昧なのではないか、ということ。

 四つ目は、ソライティーズ・パラドックスの結論は、我々の言語は不整合であり、矛盾を含んでいることを意味するが、そのことを果たして受け入れられるか、ということである。

 こうした問題点に際して、論理状態の連続的な変化を想定、曖昧な概念には論理を適応しない、3値以上の体系にする等々の対処法があるが、それでも問題は様々に生じます。要するに、このパラドックスは、不明確な用語を数学的な論理式に持ち込む際に付きまとう問題で、定義不能な不明確な概念に論理を適用する際に生じるということです。言語論理学のラビリンスも興味深いですが、私たちが活かせるのは、文章を書く事においてです。学校や会社のみならず、メールやSNS上でも文章を書くことが増えました。書き終わったあとに、形容詞や副詞の使い方を少しだけでも注意する―これだけでも、あなたの文章は一味変わるでしょう。

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この記事を書いた人

・現役世代を元気にしたいとの思いで新ブログを立ち上げ!
・本は2000冊以上読破、エッセンスを還元いたします
・金融機関で営業・調査部隊双方を経験。
・バックグラウンドは歴史とMBA

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